映画の感想文/ニンフォマニアック

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 Mさんへ

 

 『ニンフォマニアック』観ました。

 結論から言うと、メチャクチャおもしろかったです。観ている最中もずっとおもしろかったけど、見終わったあと、日常生活の中でもふとした瞬間にこの映画についての感想が湧き出てきたり、関連するような過去の思い出が蘇ってきたりして、セクシャリティや女性の問題について深い考察を始めたくなるような糸口が満載なのです。スリリングなのに味わい深く、大胆さも繊細さも嫌がらせのクオリティも超一級の、見事なラース・フォン・トリアー映画でした。

 この人の作品はいつも賛否両論が激しくて、嫌いな人はものすごく嫌いなようですが、私は基本的にラース・フォン・トリアー監督の映画はわりと好きな方です。振り返ってみると、『奇跡の海』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ドッグヴィル』『アンチクライスト』『メランコリア』と、主要な過去作をけっこう観ています。
 それでも、この人の映画はいつも悲惨な結果に終わったり、観る人を心底ドンヨリした気持ちにさせるものが多いので、なかなか胸を張って「大好きだー!!」と宣言できるような作品は無かったのですが(『奇跡の海』はそれでも好きな方で、VHSの時代にビデオを何回も観ました)、『ニンフォマニアック』はラース・フォン・トリアーのフィルモグラフィの中でいちばん好きな、そして全映画の中でもかなり上位に入るぐらい、好きな映画になりました。

 ご存じだったかどうか、『ニンフォマニアック』はVol.1とVol.2の2巻に分けての上映で、なんかいろんなバージョンがあるみたいなのですが、私が見たのは、それぞれ2時間ほどの尺で2巻合計4時間ちょっとのものでした(たぶんいちばんシンプルなバージョン)。見る前は、「4時間もあるし、なんだか疲れそう…」と思っていましたが、見始めたらそんなことはぜんぜん気にならなくなり、映画が全部終わった時には、ものすごく自分好みの味のおいしい食べ物を食べた時のように興奮して、かえって元気が湧いてきました。

 なにしろ4時間もある上に、映画の内容もかなり濃いめなので、どこからどう感想を進めていけばよいのか途方に暮れてしまいますが、とりあえず断片的にいろいろ書いてみたいと思います。

 主人公は現在50歳くらいの中年女性、ジョーシャルロット・ゲンズブール)。彼女は若い頃から性的に奔放というか、奔放を余裕で通り越して、自身でも「色情狂(ニンフォマニア)」だと認めるほどの気質と性遍歴を持つ、孤独な女の人です。物語の冒頭、顔をメチャクチャに殴られ路上で気を失って行き倒れているジョーを、通りがかりのとある老人が見つけます。ジョーを心配した(ジョーに興味を示した)老人は、彼女を自室へ連れ帰り、手当てをしてやってから、「なぜこんなことになったのか、訳を聞かせてほしい」と言い、最初は渋っていたジョーがだんだん重い口を開いて、この類まれなる女の人生と、めくるめく性の冒険譚が語られていきます。

 「めくるめく」と書いてはみたものの、彼女の性の歴史はそんなに明るく楽しいポップなものではなく、気まずさ・痛々しさ・寂しさ・悲しみなどの暗い気持ちといつも隣り合わせなので、濃厚なセックスシーンがたくさん出てくるのに、観ている私は通常の性的興奮をほとんど覚えることなく、つらくて複雑な心境で男優と女優の絡みを眺めるばかりでした(何十人もいるセフレとの気安いセックスを純粋に楽しむシーンも少しだけありますが、そういう平和なシーンはつまらないからなのか、あまり時間を割いて描かれません)。

 セックスシーン以外でも、精神的につらいシーンや気まずいシーンがたくさんあるので、「気まずいシーン恐怖症」である私の夫なら、この映画の半分以上は見てられなくて目を背けているんじゃないかと思います。

 そんなにつらいシーンが多いのに、なぜ4時間もずっとおもしろく見続けられるかというと、つらいシーンの合間に、けっこう笑えるシーンも多くあるからです。ラース・フォン・トリアーの映画でこんなに笑えるなんて思ってませんでした(余談:今回の『ニンフォマニアック』は直近2作の『アンチクライスト』『メランコリア』と続けてきた”鬱3部作”の完結編と位置づけられています。監督自身が2009年頃まで数年間鬱病を患ったことがきっかけで、これらのシリーズを撮ることになったそうです。他の2作品と比べて『ニンフォマニアック』は笑えるシーンがダントツで多いので、トリアー監督の鬱病はだいぶ軽くなってる感じがします)。

 また、そもそも映画全体の構成がうまい。この長い物語は全部で8章のパートに分けて語られていきます。ジョーが昔のことを回想している間はその時々の、当時の場面が映し出されますが、一つの章を語り終えると現在の場面(老人の部屋で50歳のジョーが話している)に戻り、ジョーと老人の対話が毎回いい感じのインターバルとして機能します。
 老人は、ジョーが語った過去の回想について質問を投げかけたり(映画の観客が抱くであろう疑問点についてもちゃんと聞いてくれるので、かゆいところに手が届く、という感じ)、自己否定し自罰傾向のあるジョーに対して、「そんなに自分のことを責める必要はない」という主旨のことを、幅広い知識(老人はものすごい読書家という設定)と語彙を使って、いろんな言い方で彼女に言って聞かせ、ジョーの肩の荷を下ろす手伝いの人みたいな感じになっていくのです。
 いろいろあり過ぎるジョーの過去の話を聞いているだけでもおもしろいのに、そういう動かしがたい過去の話への興味から、映画の時間が進むにつれてまた違ったおもしろさ――ついさっきまで赤の他人だったジョーと老人が現在進行形で交わす対話と、その対話を経てこれからこの2人の関係がどうなっていくのか、という未来への興味へと、徐々に重心が移動していく感じで、結果としてもう本当にずーっとおもしろい、というわけです。

 トリアー監督の映画はいつも取り上げるテーマが強烈なので、「エンディングが悲惨すぎる」とか「人間の嫌なところばかり描いていて観るに堪えない、観客への嫌がらせ映画だ」などの、根本的な趣味の違いで批判されることが多く、テーマを別にした映画作家としての力量(脚本力・演出力・撮影力・編集力など)を論じられることが一般的には少ないように思います(専門誌ではそういうのもあるのかもしれませんが)。でも私は今回の『ニンフォマニアック』を見て、あらためてその力量がどれだけ確かなものであるかを思い知りました。トリアー監督はきっと、才能がありすぎて生きづらい人なんだろうなー、ともあらためて思いました。

 
 これだけの力量があれば、多くの人が納得できるような穏便なテーマで、最後には感動して明日からの人生に少しは希望が持てるような、米国アカデミー賞級の作品を撮ることなんて朝飯前のようにも思えるけれど、トリアー監督はそんなこと絶対にしたくないのです。自分にとって本当に大切な「映画」という宝物の中で嘘をつきたくない、どんなに残酷だと思われても、自分の考える人間像をそのまま映画にしたい――『ニンフォマニアック』のラスト数十秒は、そんな監督の叫びが聞こえてくるような、これまでの作品の総決算みたいに明瞭なトリアー印の刻印として、人々の記憶に残り続けるものです。
 私は4時間をかけて、もう完全にジョーの感情に移入してしまっていたので、ラストシーンは本当に嫌すぎてビックリしましたが、少し時間が経ったいま振り返ってみると、トリアー監督のやりたい放題やってくれてよかったなー、と思います。


 映画の感想はだいたいこんな感じですが、この映画を見て考えたことは上記の100倍くらいあります。今日はもう書く元気が無くなったので、全部は書けませんが、タイトルだけでも少し箇条書きにしておきます。

 

セクシャリティ関連】

 

・女っつうのは…

 映画を見た後で、『ニンフォマニアック』のことを調べていたら、私と顔が似ている能町みね子さんが同作のことを語っている記事を見つけました。
http://www.cinra.net/interview/201410-nymphomaniac
 能町さんは性自認は女だけどあんまり恋愛体質ではないらしく、主人公・ジョーが性的な快楽を追及しているだけで、恋愛感情に振り回されているわけではないというところが格好いい、という感じのことを言っていました。
 私は自分のことを「女だなー」と思ったことはあんまりなくて、「メスだなー」と思うことはよくあります。なので、私も性的欲求が強い(元気がある時限定)わりに、恋愛感情に振り回されることは少ないほうだと思いますが、まったくないわけではなく、数少ない恋愛経験はそれなりにいい思い出です。
 この辺の、性的欲求と恋愛感情の違い(違いがあるのか、グラデーション上に繋がっているのか)を考えるのはとてもおもしろいので、またいろんな人に話を聞いてみたいです。

 

・本当の性的マイノリティとは…

 ジョーのいろいろある人生の中で、彼女はある時、たまたま小児性愛の嗜好を持つ人物と出会います。彼(50歳くらいの男性)は自分でもそんな嗜好があるなんてこれまで自覚していなかったようなのですが、運悪くジョーに出会い、きっとそんなこと自分でも知りたくなかっただろうに、自分の本当のセクシャリティに気づかされてしまうのです。
 それはジョーが当時従事していた裏稼業の一環で、その人の「本当に怖いもの」を使って相手を脅迫する、というような場面があり、ジョーが相手の「本当に怖いもの」を探っていくと、そこに彼の小児性愛嗜好があった、というわけです。
 ある意味で、彼のこれからの人生を破壊してしまったようなもので申し訳ない、とジョーは振り返り、小児性愛者に対する同情の念も覚える、と言います。
 「実際の子どもに手を出す小児性愛者は確かに鬼畜だけれど、そんなことをする者は、小児性愛者全体からみれば5%程度に過ぎない。残りの95%の者たちは、小児性愛をファンタジーの域に留め、本当のセクシャリティを生身の人間相手に一度も解放することなく、自分の本質を押し殺したまま日々を送り、死んでいくのだ。セクシャリティとは、どう抗っても自分の人生を左右するほど強い力を持ったものなのに、それをひたすら抑制して生きている小児性愛者には敬服の念すら覚える」と、色情狂である自分の孤独が彼らの孤独と重なる部分を認めながら、ジョーは言い切ります。
 この辺のくだりは、普段から私がなんとなく思っていたり疑問を感じていたことを明確に言葉にしてもらえた感じで、ちょっと震えました。
 今までタブーとされてきたような性的マイノリティの問題については、「LGBT」ブームの広がりによって一般社会でも少しずつ理解されていく途上にあるかのようですが、本当に最後まで理解されないのは、こういう小児性愛の問題なのかなと思わされます。善良な小児性愛者の苦悩に比べれば、女装癖とか同性愛とかトランスジェンダーとか、そんなことは、わりと受け入れ可能で取るに足らない話に見えてしまうほどです。
100年後とか1000年後の未来に、人類は小児性愛者をどのように処遇していくのか、そんなことを書いたSF小説を読んでみたい気がします。


【その他雑感】

・精液泥棒
・不倫発覚、修羅場のユマ・サーマンで爆笑
・年下の女には気をつけろ(罪悪感ゼロの裏切り)
・北欧のデスメタルが格好いい
・セラピーなんてくそくらえ
  
 ……などなどです。

 
 一応、重要なネタバレは避けて書いたつもりですが、そんなん知りたくなかった!ってことが書いてあったら申し訳ありませんでした。映画も長くて、人によったら不快を感じるらしい作品ですが、機会があれば是非観てみてください。

さようなら~